ロケーション秘話

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今夏は「ダイアナ没後20年」と「石原裕次郎没後30年」らしい。いやはや歳月の流れは早い。ダイアナには会ったことがないが、石原裕次郎には会ったことがある。裕次郎主演の珍しい時代劇で自らの石原プロ製作(1965年)の映画ロケのときだった。有馬温泉の蓬莱峡と不死王閣がある伏尾の久安寺でオープンセットが組んで撮影があったのだ。小学校の同級生が砦の罠にかかる猫を貸した関係で、ぼくも〝関係者〟の一人として控え室になっていた小屋に入って、裕次郎と炉にあたりながら歓談したのだ。特段ぼくにとって裕次郎には思い入れがなかったが、上の兄にとっては憧れの人だった。しかし控え室には入れない。そこで強面の伯父にサインを依頼した。係員を払いのけ鬼瓦みたいな強面男が入ってきた。「サインしたってくれ!」と色紙を裕次郎に突き出した。さすがの裕次郎もたじろぎながら渋々サインに応じた。とにかく天下の裕次郎が来ているというので、押すな押すなと近隣から老若男女が多数見物に来ていた。

その翌日、道路からセットに入る裕次郎を見たり触ろうと、大勢の老若男女が待ち構えていた。前日までと違ったのは黒くてへべちゃいアメ車の列からサングラスと黒づくめの厳つい男たちが降りてきて「はいはい、オバハン邪魔や! オッサンも邪魔や!」と、裕次郎を囲んで誘導した。背広の胸元に金色の◇型バッチが光る●口組の人たちだった。これを呼び寄せたのが鬼瓦みたいな強面で裕次郎をビビらせたわが伯父だとは他人には言えなかった。

司馬遼太郎原作“城を取る話”より「砂の上の植物群」の池田一朗と「河内ぞろ 喧嘩軍鶏」の舛田利雄が共同で脚色、舛田利雄が監督したアクション時代劇。撮影は「黒い海峡」の横山実。
【ストーリー】
戦国末期の慶長五年。秀吉亡きあと、世は徳川へと移行し諸大名は家康のもとに走った。そんな風潮の最中、不敵な面魂の一人の若武者が、世の流れに背を向けて、旅立った。黒皮の陣羽織に長剣を背負った、車藤三である。その頃、会津若松の城主上杉景勝は、一人家康打倒を叫けんでいた。暴勝の男気に惚れこんだ藤三は城下に俵左内を訪ね、伊達政宗が北山川の後方に多聞山城を築き、徳川勢と上杉家の合戦の合い間に上杉領を横奪しようと企んでいることを聞き、藤三の冒険心は湧きたった。上杉方に加勢を約した藤三は、左内と五百両の軍資金を馬につけ、出城のある機屋集落へと発った。道中、二人には木樵の彦十、巫女のお千、お白粉屋長次郎の三人の部下を持った。町の情報に詳しい彼らの出現は、貴重であった。多聞山城の見える峠から、工事の様子を見た藤三は、工事の遅れと、強制的に賦役につかされている住民の姿を見て、何か自信をつけたようだ。町に降りた一行は、上杉勢が合戦の準備に忙しいという噂を流し、一方では、城の欠点をわめき散らした。築城の指揮を取る伊達家の赤座刑部は、渋谷典膳と対策を講じる一方、住民に強度の労働をしいた。町の若者達の中に不満の声があがるのを知った藤三は、お千を使って住民を集め、上杉家の危機を説明し、工事のサボタージュを説いた。不穏な形勢を察知した刑部は、忍者をつける一方、仙台に援軍を要請した。だがその使者は藤三に斬られた。その頃、左内らは、城の見取図、のっとりの準備は整っていたが、刑部の計略にかかった住民が城に幽閉されたため、奇襲をさけていた。しかし、藤三が上杉方三百騎を率い、仙台よりの援軍として入城してくるや、左内の指揮で作業員らが反乱を起し、刑部と典膳を討った。今は城主左内を残し、藤三は笑顔で又旅に出るのだった。
【スタッフ】
監督 舛田利雄 脚色 池田一朗
製作 石原裕次郎
【キャスト】
石原裕次郎/千秋実/近衛十四郎/宍戸錠/中村玉緒/石立鉄男/芦屋雁之助/藤原釜足/滝沢修/藤竜也/緑魔子
1965年/日活/134分


ライター
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みなみ あめん坊
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by amenbou | 2017-07-20 16:46 | 旅行 体験 | Trackback | Comments(0)