虫歯治療

昨日、左下奥歯の虫歯治療をした。一本の歯が欠けるだけで大変な不便を感じた。日頃あんまり意識していなかったが、どうやら左側ばかりで食べ物を噛んでいたみたいで、反対側の右側で噛むのは違和感を感じるほどだった。ランチは相変わらず王将にしたのだが、サーランが好きな物ではなかったので酢豚定食にした。しかしこれが非常に食べ辛かった。暑さもあって、ぐったりと疲れて帰宅し、ギムレットを飲んだら眠くなって20時半~6時50分まで白河夜船だった。

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みなみ あめん坊
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「俺はもうすぐ死ぬ」元公安警察官が明かした過激派との闘い
ある公安警察官の遺言 第1回

【現代ビジネス】2017.7.23 http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52339

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報道記者として、警察やインテリジェンスの世界を取材し続けてきた竹内明氏。その竹内氏が長年、交流を持ってきた、ひとりの元公安警察官の生きざまからは、極左過激派やオウム真理教事件など、昭和から平成にかけての激動の時代の「裏側」で、決して光を当てられることなく活動してきた男たちの戦いが透けて見えます。

知られざる公安警察の実像に迫る連続ルポ、第1回。
「最後に、お前と飲みたい」

6月9日、ひとりの元公安警察官がなくなった。

古川原一彦。警視庁公安部公安一課に所属して極左の捜査を担当し、連続企業爆破やオウム真理教事件で活躍した叩きあげの捜査官だ。

「俺はもうすぐ死ぬから、お前と最後に飲みたい。世話になったお礼にご馳走させてくれ」

筆者の携帯にこんな電話が掛かってきたのは、先月中旬のことだ。その口ぶりに覚悟を感じた。8年前に膵臓癌で手術、奇跡的に回復していたが、去年、再発していた。

古川原は千葉県内の某駅を指定し、「午後6時頃に駅に着いたら電話しろ」と言って電話を切った。

当日、私が待ち合わせ場所の駅から電話すると彼はこう言った。

「なんだよ、おまえ。朝6時だぞ。年寄りは寝てるんだから、こんなに早く電話するなよ」

「いや、古さん。いま夕方の6時、約束の時間ですよ」

「……そうだったか。すまねえ」

駅近くの店ではなく、体に負担をかねないよう自宅近くの居酒屋で飲むことにした。いつもどおりの洒落たジャケットを着て店にやってきた古川原は思ったより血色がよかった。

「頚椎に癌が転移しやがった。右手がまるで利かなくなっちゃってね。まったくいやになるよなあ」

古川原は照れ臭そうに笑うと、馴染みの店員に、豪華な刺身の盛り合わせを注文した。カウンターに並んで、黙々と食事をした。古川原は震える右手でフォークを握り、刺し身を何度も落としながら、口に運んだ。あれほど豪快に酒をのんだ男が、この日は熱燗を舐める程度だ。

報道記者として、警察やインテリジェンスの世界を取材し続けてきた竹内明氏。その竹内氏が長年、交流を持ってきた、ひとりの元公安警察官の生きざまからは、極左過激派やオウム真理教事件など、昭和から平成にかけての激動の時代の「裏側」で、決して光を当てられることなく活動してきた男たちの戦いが透けて見えます。知られざる公安警察の実像に迫る連続ルポ、第1回。
「最後に、お前と飲みたい」

6月9日、ひとりの元公安警察官がなくなった。

古川原一彦。警視庁公安部公安一課に所属して極左の捜査を担当し、連続企業爆破やオウム真理教事件で活躍した叩きあげの捜査官だ。

「俺はもうすぐ死ぬから、お前と最後に飲みたい。世話になったお礼にご馳走させてくれ」

筆者の携帯にこんな電話が掛かってきたのは、先月中旬のことだ。その口ぶりに覚悟を感じた。8年前に膵臓癌で手術、奇跡的に回復していたが、去年、再発していた。

古川原は千葉県内の某駅を指定し、「午後6時頃に駅に着いたら電話しろ」と言って電話を切った。

当日、私が待ち合わせ場所の駅から電話すると彼はこう言った。

「なんだよ、おまえ。朝6時だぞ。年寄りは寝てるんだから、こんなに早く電話するなよ」

「いや、古さん。いま夕方の6時、約束の時間ですよ」

「……そうだったか。すまねえ」

駅近くの店ではなく、体に負担をかねないよう自宅近くの居酒屋で飲むことにした。いつもどおりの洒落たジャケットを着て店にやってきた古川原は思ったより血色がよかった。

「頚椎に癌が転移しやがった。右手がまるで利かなくなっちゃってね。まったくいやになるよなあ」

古川原は照れ臭そうに笑うと、馴染みの店員に、豪華な刺身の盛り合わせを注文した。カウンターに並んで、黙々と食事をした。古川原は震える右手でフォークを握り、刺し身を何度も落としながら、口に運んだ。あれほど豪快に酒をのんだ男が、この日は熱燗を舐める程度だ。

公安捜査官として数々の難事件を解決した男だ。二度の離婚、酒癖もわるい。上司には平気で食って掛かるし、ルール違反すれすれの捜査手法も厭わない。組織の枠からは大きくはみ出した公安部の名物男だった。

これまで筆者はこの男から沢山の話を聞いてきた。首都のど真ん中で起きた衝撃の事件に全国民が慄然とした連続企業爆破テロ事件、クアラルンプール事件、ダッカ事件。そして平成に入って世界初の化学兵器によるテロが実行されたオウム真理教事件。現在の警察組織では、公安といえども踏み越えることのない一線を、ときに荒々しく越える昭和の公安捜査官の捜査手法……。

読者の皆さんには、彼が死の直前に見せてくれた写真や資料も交えながら、激動の捜査官人生を数回に分けて紹介したいと思う。

テロの時代、公安はまさに「花形」だった

公安警察官は目立たぬことこそが最も重要だ。だが、古川原一彦は警視庁に入庁する前から「有名人」だった。その名が世間に知れ渡ったのは、全国高校駅伝でのことだ。1964年1月4日の新聞には、こう書かれている。

<ひょろ長い体にくりくり坊主、真っ赤なハチマキをしめたその頭からほのぼのとユゲが立つ。その表情はいかにも全力を出し切ってたたかったわこうどの表情をそのままに美しい。レースを終わって勝利のアンカー古川原選手はゆっくりと喜びをかみしめながらぽつりぽつりとレースをかえりみて次のように語った。

「優勝はしたが、記録を更新できず残念です。風がきつかった上に道が悪くて穴で足をくじきはしないかと気が気でなかった。優勝はみんなのおかげです。しかし優勝はなんどしても気持ちがいい」>

古川原は当時、名門・中京商業の駅伝選手。アンカーでゴールテープを切って、全国優勝を成し遂げた超一流の選手だった。名だたる企業からの誘いを断って古川原が選んだ就職先は警視庁だった。その理由はのちに紹介したい。

新聞の切り抜き古川原氏が大切に保管していた当時の新聞の切り抜き(撮影:竹内明)
古川原が警視庁巡査を拝命したのは1965年のことだ。交番勤務からスタートして、その7年後に、大塚警察署の公安係に異動となった。過激派によるテロが続いた時代、所轄とはいえ、まさに公安は花形だった。

1974年8月30日に、東京・丸の内で三菱重工ビルが爆破された。死者は8人、けが人は376人。ダイナマイト700本分の威力の爆弾だった。

この爆破の8分前、三菱重工の本社にはこんな電話が掛かっていた。

<我々は東アジア反日武装戦線”狼”である。爆弾を2個仕掛けた。これはいたずら電話ではない>

その後も、三井物産、帝人、大成建設、鹿島……と大企業を狙った爆破事件が続いた。これが当時の日本を震撼させた「連続企業爆破テロ事件」である。

古川原は所轄の末端の捜査員として、犯行に使われたペール缶爆弾に取り付けられていた時限タイマーの販売元をこつこつと探す作業に没頭した。

タイマーに使われたのは「スターレット」という旅行用目覚まし時計。茗荷谷駅近くの時計店にいった古川原は、タイマーに使われたスターレットと製造番号が連番の時計を発見する。

「犯人が時計をこの店で買ったのではないかと誰もが思った。茗荷谷駅近くに爆弾魔がいれば、俺に手柄になると思ってワクワクしたよ」(古川原)

結局、犯人がこの店で時計を買った事実はなかったのだが、その粘り強い捜査姿勢が評価され、古川原には念願の「公安部」から声がかかったのだった。

「お前、家賃滞納してるだろ」

異動先は、公安部公安一課の「極左暴力取締本部」だった。通称「極本」。極本の捜査員たちは、愛宕警察署の裏手にある「交通反則通告センター」に極秘の帳場(捜査本部のこと)を開き、東アジア反日武装戦線の正体を割り出す作業を進めていた。

古川原の任務は、東アジア反日武装戦線のメンバーと思われる佐々木規夫の行方を探すことだった。古川原は所在不明だった佐々木が、東京都北区中十条に住民票移転届けを出していたことを、戸籍調査で割り出した。

古川原は初めて佐々木の姿を確認した時の印象をこう語った。

「佐々木は当時の過激派の若者とは違い、真面目なインテリサラリーマンという印象。彼らの教えの中に、『革命を起こすために、人民の海に入るには、善良な市民を装え』という教えがある。佐々木はまさにそれを実践していた」

公安警察の真骨頂は徹底した「視察」、つまり尾行と張り込みである。このとき古川原は27歳。高校生時代は「くりくり坊主」だった頭は、肩までの長髪にパーマになっていた。当時の若者に溶け込みながら尾行するための偽装である。

行確(行動確認)を開始すると、佐々木は足立区梅島のアパートの1階に引っ越した。古川原は視察拠点の選定を命じられた。

絶好の場所にアパートがあったが、その部屋には大学生が住んでいた。いきなり家を訪ねて「警察だ。部屋をよこせ」とはいえない。そこで古川原は大学生の基礎調査を開始した。

すると、この学生が家賃を滞納していること、仕送りをしている実家の父親が、かなりの酒好きだということがわかった。

古川原はまず、ビールを1ケース持って、父親を訪ねた。そして父親にこういった。

「息子さんの家の近くで事件が起きているんだ。息子さんに話を聞きてえんだけど、全然見つからないんだ」

父親は息子と連絡を取り、引き合わせてくれた。

「お前、家賃滞納してるだろ」

異動先は、公安部公安一課の「極左暴力取締本部」だった。通称「極本」。極本の捜査員たちは、愛宕警察署の裏手にある「交通反則通告センター」に極秘の帳場(捜査本部のこと)を開き、東アジア反日武装戦線の正体を割り出す作業を進めていた。

古川原の任務は、東アジア反日武装戦線のメンバーと思われる佐々木規夫の行方を探すことだった。古川原は所在不明だった佐々木が、東京都北区中十条に住民票移転届けを出していたことを、戸籍調査で割り出した。

古川原は初めて佐々木の姿を確認した時の印象をこう語った。

「佐々木は当時の過激派の若者とは違い、真面目なインテリサラリーマンという印象。彼らの教えの中に、『革命を起こすために、人民の海に入るには、善良な市民を装え』という教えがある。佐々木はまさにそれを実践していた」

公安警察の真骨頂は徹底した「視察」、つまり尾行と張り込みである。このとき古川原は27歳。高校生時代は「くりくり坊主」だった頭は、肩までの長髪にパーマになっていた。当時の若者に溶け込みながら尾行するための偽装である。

行確(行動確認)を開始すると、佐々木は足立区梅島のアパートの1階に引っ越した。古川原は視察拠点の選定を命じられた。

絶好の場所にアパートがあったが、その部屋には大学生が住んでいた。いきなり家を訪ねて「警察だ。部屋をよこせ」とはいえない。そこで古川原は大学生の基礎調査を開始した。

すると、この学生が家賃を滞納していること、仕送りをしている実家の父親が、かなりの酒好きだということがわかった。

古川原はまず、ビールを1ケース持って、父親を訪ねた。そして父親にこういった。

「息子さんの家の近くで事件が起きているんだ。息子さんに話を聞きてえんだけど、全然見つからないんだ」

父親は息子と連絡を取り、引き合わせてくれた。


古川原は西新井駅近くのラーメン店で大学生と二人で会った。酒を飲ませながら、こう脅した。

「お前、家賃滞納しているだろう。親父さんから仕送りしてもらってるのに、とんでもねえ野郎だ。金は俺が払ってやるから、あの部屋から引っ越せ。親父には内緒にしてやる」

古川原は大学生に別の部屋を借りてやり、転居させた。まんまと視察拠点を確保したのである。佐々木のアパートまでの距離、120メートル。古川原は窓に簾を下げ、その簾の目の高さの竹を2本だけ切断した。その隙間に双眼鏡を当てて佐々木の出入りを確認したのだ。

(つづく)



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by amenbou | 2017-07-29 11:29 | 旅行 体験 | Trackback | Comments(0)