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☆彡★彡☆彡2015年4月4日★彡☆彡★彡

☆彡老人たちの裏社会、余生は生き地獄になった
(c) 東洋経済オンライン 2015年03月28日

65歳以上の高齢者の万引きの増加が話題になったのは20年ほど前だったか。当時は全体に占める割合が1割に達したことで注目を集めていた。

本書『老人たちの裏社会』(宝島社)によると、警察庁発表の犯罪統計では高齢者による万引きは2011年には未成年者の検挙数を追い抜き、直近の公表値である13年は32.7%を占め過去最高を記録したという。万引き犯の3人にひとりが65歳以上という状況だ。人口全体が高齢化していることを踏まえても異常な増え方だ。

しらふで激高する老人たち

万引きだけではない。ストーカーも60代以上の13年度の認知件数が10年前の約4倍に増え、ほかの世代の1.7~2.6倍に比べて高い増加率を示す。驚くべきなのは暴行の検挙数。2013年には94年比45倍超の3048人に急増している。原因も「激情・憤怒」が60%以上を占め、次点の「飲酒による酩酊」の14%を大きく引き離す。酔っぱらって、「何だ、この野郎!」と酒場で暴れる老人を想像しがちだが、本当に凶暴なのはしらふなのに公共交通機関などで些細なことにぶち切れまくる老人が大多数なのだ。

著者は投げかける。

“ほんの少し前まで、老人は-中略-社会的弱者としてとらえられていた。ところが、今や街では万引きをしまくり、激高しては暴力に訴え、勘違いを募らせてはシニアストーカーに転じ、「死ぬまでセックス」とばかりに色欲にハマるなど、「若者のお手本となる先人」どころか、老害を撒き散らすだけの暴走ぶりが目立つ”



彼らに何が起きているのか。統計データをなぞりながら、万引き、暴行、ストーカー、売春などに走る高齢者を取材し、本書では異様な実態を明らかにする。

簡単に死ねない時代になった

「唯一の憂さ晴らし」と5年前に突如目覚めた万引きをやめられない86歳の女性。毎日のように69歳の女性に自分が詠んだ句を添えて郵便ポストに手紙を差し入れる80歳男性。68歳の女性は色目をつかって、孤独な男性たちの預貯金から3000万円以上を搾り取る。

寂しいから、社会から孤立してしまっているから。犯罪白書は老人の犯罪を語る。確かに孤立死も急増している。80歳以上の自殺者数は年2500人を上回る。なぜ寂しいのか。なぜ孤立してしまうのか。簡単には死ねない時代になったからである。

“これまでは「やり残したことはないか」「命を燃焼し尽くして人生を生き切ったか」などと追及、検証する間もなく先に寿命が来てしまっていた。余計なことを考える間もなく、生活に追われ、生き続けるのに必死なうちに息絶えるのが当たり前だったのだ。 ”

“死ぬよりも、上手に老いることの方が難しい時代になってしまった。 ”

最終章の章題は「生き地獄化する余生」である。悟りの境地に達した老人は漫画の世界だけなのだろうか。悶々としてしまうから、「生涯現役」と悪びれもせずにストーカーに走る。自らが80歳を超えながら70歳の妻をDVする。「女として輝こう」の謳い文句に釣られ、62歳でホテヘル嬢になる。

タイトルに「裏社会」とあるが、残念ながら、もはや「裏」とは言えない現象になってきている。本書に広がる世界は、我々全員がこれから対峙しなければならない社会そのものである。

★彡日本の戦争報道 明治10年2月に勃発の西南戦争から始まった
(c) NEWSポストセブン

 日本の戦争報道は、明治10(1877)年2月に勃発した西南戦争に始まるとされる。従軍取材を行なった明治初期のジャーナリストたちは戦地に赴き、政府軍の庇護の下、生々しい戦況を綴った。時には虚実をない交ぜに「官軍vs賊軍」の戦いを煽った。

〈(賊は)我が官軍が暁雨を冒して突進するに驚ろき勇気も挫け防戦するの力なし……官兵は此勢に乗じ「すは勝軍ぞ追打せよ」と打掛打掛追立たれば、賊は枕を並べて討死し、さしもに猖獗(しょうけつ)なりし猪武者等も浮足になりて逃出し背より打たれて倒るもの数を知らず〉(東京日日新聞1877年3月30日付)

 まるで、活劇のような描写が続く。

 西南戦争の激戦地、田原坂での戦闘を伝える記事である。西郷隆盛が率いた「賊」が「官兵」(政府軍)の攻撃から逃げ、背後から討たれる様子が事細かに描写されている。それは「猖獗なりし猪武者等」の表現からも明らかな通り、戦争を「勧善懲悪」の物語に仕立て、ことさら政府軍の強さを強調するものだ。

 西南戦争は、日本の新聞にとって「戦争報道」の幕開けとなる出来事だった。各社は記者を東京から派遣し、戦況の推移を連日書き立て報道合戦を演じた。中でも、政府軍内部に深く入り込み、軍の記録係として戦地取材を続けた東京日日新聞社長の福地桜痴(ふくちおうち)は、質・量ともに他紙を圧倒する従軍記事を書きスクープを連発。冒頭に一部引用した福地の連載「戦報採録」は、鹿児島から遠く離れた東京の読者を熱狂させたという。

 それに対抗したのが、郵便報知新聞で「戦地直報」を手がけた若手記者は、後に首相となる犬養毅だ。

〈田原坂は死屍爛臭の気鼻を撲(う)ち……頭脳へ迄(まで)薫し一歩も進み難き程なり〉(4月6日付)

 軍首脳部に入り込んだ福地と異なり、犬養は「砲煙弾雨の中を縦横に」駆け抜け最前線で取材を続けたという。

 9月24日、政府軍の総攻撃により西郷らが自刃して戦争が終結すると、その日の午後には日日新聞の号外が東京市中に出回った。

〈兼(かね)て待ち設けたる薩賊殲滅の吉報は果して今月今日を以て我らの手に落るを得たり〉

──そう始まる号外は、ソースとなった〈只今賊の根拠を陥いれ、西郷桐野村田戦死せり〉の政府軍電信を引用して終わっている。
 
 一方、犬養の「戦地直報」(10月5日付)はこう書いた。

〈……戦全く止む。諸軍喧呼して曰ふ。我れ西郷を獲たり、我れ獲たりと。而して西郷の首、果して誰が手に落ちるを知らざるなり……英雄の末路ついに方向を錯り、屍を原野に晒すと雖(いえど)も、戊辰の偉功国民誰が之を記せざらんや〉

 戦争終結に際し、「西郷を討ったのは自分だ」と手柄を誇る政府軍兵士の声とともに、その死を悼む犬養の心情が綴られている。

 西南戦争報道を経て、新聞は大きく部数を伸ばした。内務省総務局調査によると、全国の新聞年間発行部数は戦争前年の2898万部から、3345万部に急増している。

※SAPIO2015年4月号

☆彡『報道ステーション』で古賀茂明が「官邸の圧力で降板」の内情暴露! 古舘が大慌て
(c) LITERA 2015.03.28.

 元経産官僚・古賀茂明氏が『報道ステーション』(テレビ朝日系)に最後の一刺しを放った。

 本サイトでは、1ヵ月以上前に、古賀氏が定期的に出演していた同番組から、3月いっぱいで降板させられることを報じていた。

 直接のきっかけは1月23日の放送だった。「イスラム国」による人質事件の最中でほとんどのメディアが政権批判を控えているなか、同番組に出演した古賀氏は安倍晋三首相の外交姿勢を敢然と批判。「I am not ABE”(私は安倍じゃない)というプラカードを掲げて、『日本人は違いますよ』ということを、しっかり言っていく必要がある」と発言したのだが、これに対して、官邸が激怒したのだという。

「番組放映中に官邸からテレビ朝日に直接電話で抗議が入るなど、凄まじい圧力がかかった。それで、最近、安倍首相と急接近しているテレビ朝日の早河(洋)会長が乗り出してきて、降板が決まったんです。ただ、もともと不定期出演だったこともあり、番組サイドはおおっぴらにせずにフェードアウトという感じにもっていこうとしていた」(テレビ朝日関係者)

 その古賀氏の最後の出演が昨日だったのだが、古賀氏は番組でその内情の一端を暴露したのだ。スタジオで古舘が古賀氏にイエメンの空爆についてコメントをもとめたところ、古賀氏がいきなり「そのお話をする前に」とこう切り出した。

「私、今日が最後ということで。テレビ朝日の早河会長と、古舘プロジェクトの佐藤会長のご意向で今日が最後ということで。これまで本当に多くの方に激励していただいた。一方で菅官房長官をはじめとして官邸のみなさんからものすごいバッシングを受けてきましたけれども、それを上回るみなさんの応援のおかげで楽しくやらせていただいたということで、心からお礼を申し上げたいと思います。本当にありがとうございました。」

 これに古舘は大慌て。「古賀さん、ちょっと、ちょっと待ってください。今の話は私としては承服できません」と話をさえぎり、こう反論したのだ。
「古賀さんは金曜日に時折出てくださって、私も勉強させていただいている中で、4月から番組の様相が変わっていく中でも、古賀さんに機会があれば、企画があうなら、出ていただきたいと相変わらず思っていますし、古賀さんがこれですべて何かテレビ側からおろされるということはちょっと古賀さん、それはちがうと思いますよ」

 しかし、古賀氏はひるまない。「いや、でも古舘さんおっしゃいましたよね、私がこういうふうになるということについて、『自分は何もできなかった。本当に申し訳ない』と」とさらに内情を暴露したのだ。

 これに対して、古舘が「この前、楽屋でお話しさせていただいたのは、古賀さんの思うような意向に添って流れができていないとしたら、大変申し訳ないというと。今でも私はそう思っている。でもさっきのはちょっと極端すぎる」と弁明にならない弁明をすると、古賀氏はなんと、「私は全部、録音させていただきましたんで、そこまで言われるならすべて出させていただきますけども」と断言したのだった。

 古舘は「そしたら、こちらも出させていただくことになっちゃいますよ」と言いつつ、「それはおいて」と話をイエメン問題に戻したが、終盤になって、再び話が蒸し返された。

 古賀氏は安倍政権と安倍首相の政策についての批判を5分以上滔々と述べ、最後に「これは古舘さんにお送りしたいんですけど」と前置きしてマハトマ・ガンジーの「あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。 そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである」という言葉を紹介。そのうえで、こう述べたのだ。

「つまり圧力とか自粛に慣れていって、何もしない、ひとりでやったってしょうがない、ただ叩かれるだけだ、ということでやらないと、知らないうちに自分が変わってしまって、本当に大きな問題が起きているのに気がつかないということがあるんですよ。(中略)
 私が言いたかったのは、言いたいことはそのまま自然に言いましょうということ。もちろん、ちがう意見があれば、古舘さんだってどんどん言っていただいて、全くなんの問題もない。何か言ったことについて、裏で圧力をかけたり、官邸から電話をかけてなんだかんだ言ったりするのは、そういうことは止めていただきたい。そういうふうに思うわけです」
 この二人のやりとりを見れば、本サイトが指摘したように、明らかに官邸からの圧力によって古賀氏が降板に追い込まれたのは間違いないだろう。実際、番組終了後、古賀氏は、ジャーナリスト・岩上安身氏の直撃にもっと詳細な証言をしている。以下はその概要だ。

「今日の放送は官邸に抗議するというのが僕の目的だった。僕がなぜ『I am not Abe』を出したかと言うと、官邸が僕のことを個人的に攻撃しているんですよ。官房長官は名前は出さないけど明らかに私を攻撃してくる。「俺だったら放送法違反だと言ってやったのに」と言ってるという話も聞いている。官房長官という政府の要人が、放送免許取り消しもあるよという脅しですよ。私は脅されているからと言って黙るということはできない。だから自分を無理矢理追いつめていました。  
 番組終わってから、報道局長がきてあんなのおかしい、裏切りだとガンガン言われて、こっちもやり返してやりましたよ。いま、マスコミには黙ってほしくないんですよと言ったら、世の中の人にはわからないと言うんです。僕は一石投じることをしたかった。それ言ったら番組を私物化してると言われたけど。
 でも官邸、政府はお金も大量にあるし組織的にマスコミを抑えることをガンガンやってる。あいつはキチガイだと言う人もいると思います。みんながどんどん転向していっている。官邸の偉い人とご飯を食べて、審議会にどうこう言われれば、みんな変わるそうです。官邸に攻撃されたら民主党のブレーンだって官邸の味方だからと言ってるらしいんですよ。僕も官僚だったからわかりますよ。でも、テレビキャスターで官邸側に転向しないのが僕以外にたった一人だけいると言ってたらしいです。
 電通の人も言ってましたよ。官邸だけじゃなく自民党にはお金が余ってるからそれを取りに行くんだと、だから優秀な営業マンを付けるんだとね。みんな官邸になびいていくんですよ。これで当分僕の東京のキー局での出演はありえないですね」(『岩上安身チャンネル』)

 しかも、気になるのは、古賀氏の降板だけではない。古舘は古賀氏との口論の中で「4月から番組の様相が変わっていく中でも」という台詞をはいていたが、『報道ステーション』では、番組統括の女性チーフプロデューサーが、古賀氏と同時に4月から“粛清”されることが決まっている。

 これについても、古賀氏が昨夜の『報ステ』で「プロデューサーが今度、更迭されるというのも事実です」と暴露、古舘を慌てさせていたが、この女性プロデューサーは『ニュースステーション』時代からディレクターを務めてきた人で、安倍政権やテレ朝上層部からの圧力に盾になって今の『報ステ』路線を守ってきた。その番組の柱ともいえる存在に突如、更迭が言い渡されたのだ。
「昨年9月10日の川内原発再稼働をめぐる報道で、原子力規制委員会の田中俊一委員長の会見での受け答えに関する報道が原子力規制委員会から「恣意的な編集だ」と抗議を受け、BPOの審議対象になった。そのことの責任を取らされた形です」(前出・テレ朝関係者)

 しかし、この報道は「恣意的」でもなんでもなく、途中のやり取りを省いただけ。明らかに官邸と連動した原子力規制委員会からのイチャモンにすぎなかった。だが、テレ朝側はその抗議を積極的に受け入れ、謝罪。自らBPOの審議入りを申し出たのだ。

「上層部が官邸サイドから『あの女プロデューサーをなんとかしろ』と言われているという噂はずっとあった。そこに、都合よくこの問題が起きたため、早河会長と、安倍首相に近く、テレビ朝日番組審議会委員長を務めている見城徹・幻冬舎社長が組んで、問題を大きくし、プロデューサーの更迭に持ち込んだといわれています」(前出・テレ朝関係者)

 チーフプロデューサーの交代によって4月以降、番組の政権批判の方針がガラリと変わると言われていたが、昨日の番組のやり取りでそれが裏付けされたというわけだ。

 しかも、昨日の放映では、一時は降板覚悟で徹底抗戦をするといわれていた古舘もこのテレ朝上層部の意向に恭順の意を示していることもわかった。政権批判ができる唯一の番組も風前の灯火ということらしい。

 なお、この間、『報道ステーション』の裏側で起きていたこと、古賀氏や女性チーフプロデューサー更迭の真相などについては、本サイトの以下の記事を読み返してほしい。

朝日新聞の次は『報道ステーション』がやられる!? 古舘降板、番組終了も
官邸の圧力!?『報道ステーション』で安倍批判をした古賀茂明が番組を降ろされた!

(田部祥太)





★彡もう一つの『マッサン』 二代目・竹鶴威さんを偲ぶ義理と人情の物語
(c) 日経BIZアカデミー 2015/2/19 梶原 しげる(フリーアナウンサー)、東京成徳大学客員教授(心理学修士)

みのもんたさんから伺ったニッカへの強い思い

 NHKの連続ドラマ『マッサン』人気で、ウイスキーを飲む人が増えているという。私も、昨年の夏「伝説のブレンダー」として世界中から尊敬を集めるサントリーの輿水精一さんとお目にかかって以来(詳細はこちらをご参照下さい)、改めて日本のウイスキーの素晴らしさを実感しているから、とてもうれしい。

 先日、久々に文化放送の先輩、みのもんたさんとじっくり飲む機会があった。

 この何十年。みのさん馴染みのバーに行くと、必ず、何とも優雅な白い陶器のボトルが出てくる。「鶴」という名のニッカウヰスキーだ。

梶原「これマッサンのモデル、竹鶴政孝が自ら手がけた最後のウイスキーだってことを最近知りました。考えてみたら、みのさんは、マッサンブームの遥か昔からずっとこれでしたよね。そもそもどうしてニッカだったんでしたっけ」

 長いおつきあいの中で、今さらこんなことを聞くのも妙なものだが、みのさんは例によってご機嫌に答えてくれる。

みの「いい質問だねえ、よく聞いてくれた! 亡くなった親父の故郷・宮城県に50年近く前、立派なウイスキー工場(宮城峡)ができたんだ。それがニッカ。ニッカにとっては余市に次ぐ二番目の蒸留所。親父にとっては自分の生まれ育った地に世界最先端の設備を誇るお酒の施設ができたっていうニュースが自慢でねえ」

梶原「1969年だそうですね、マッサン関連本で読みました」

みの「水道メーターの会社を経営していた親父は仲間たちに声をかけて、工場見学を兼ねた旅行会を企画したんだ。僕も行った! 宴会と宿泊は近くの作並温泉。みんな喜んでくれてねえ。親父にしたら、してやったり。言い方は違うかもしれないけど<故郷に錦を飾った>っていうのかなあ。もの凄くうれしそうだった。ニッカのおかげで鼻高々っていう親父の喜んだ顔が忘れられないんだ。僕も最高な気分だった。以来、ウイスキーはニッカ、かな…」

 父を喜ばせてくれたニッカへの強い愛着。みのさんは義理堅いのだ。

生放送中に起こった「大事件」

 しかしそれが裏目に出たことがある、と驚くべき秘話が飛び出した!

 それは20年以上続いたみのさんの看板番組の一つ、日本テレビの「午後はおもいッきりテレビ」の人気コーナー、「きょうは何の日」でのことだった。

 放送当日と同じ日付を過去にたどり「こんなことがありました」を紹介する。その日の話題は「国産ウイスキー第一号が発売された日」だった。

 「マッサン」をご覧の方だけでなく、多く人がご存知の通り、国産第一号ウイスキーを発売したのは寿屋、現在のサントリーだ。

 生放送当日。一般参観者のおばさまとは別に、自社の歴史がどんな風に紹介されるのだろうと興味津々のサントリーの方、スポンサーを担当する代理店の人、日テレ営業部署のお歴々など「関係者」も少なからずスタジオにお見えだったそうだ。

 みのさんは例の名調子でサントリーが本格ウイスキーを世に出し、今日の隆盛を極めるまでの物語を大いにうたい上げ、客席は大盛り上がり。サントリーの方はじめ関係者も仕事を忘れ笑い転げていた、というのに…。

梶原「何かあったんですか?」

みの「最悪。僕のせいでねえ…コーナーが終わって、ふっと気が抜けたその時、出演者の誰かが何気ない感じで声をかけて来たんだよね。<みのさんは何を飲んでるんですか?>  で、咄嗟に僕の口をついてでたのが<ニッカ>!」

太っ腹のサントリー、大物の日テレ社長に救われる!

梶原「放送の中で?」

みの「うん、そのまま放送に流れたんだ。その瞬間、関係者の顔が凍り付いたね。<あ、まずい!!>我にかえったけどもう遅い。生放送だからどうにもならない。引きずらないようにして次のコーナーに行くには行ったけどねえ」

梶原「サントリーの人もがっかりでしょう。営業担当も面目丸つぶれだったと思いますよ。普通は許されないでしょう、テレビに限らず…」

みの「番組終了後のスタッフがひどく素っ気ないし、凄く気まずい空気なんだよねえ。さすがの俺もこりゃあプロとして失格だ。首になってもしょうがないと思って、当時の日テレのトップ、氏家齊一郎さんのお部屋に伺ったんだ」

梶原「氏家さん、何とおっしゃったんですか?」

みの「<好きなものを好きだと言って悪いことは何もない。人間、好きなものは好きなんですから>とガハハと笑って下さった」

梶原「さすがでかいですねえ!人間が!!」

みの「やあ、すごい人だった…。この人には一生頭が上がらないと思った」

梶原「でも、その後、問題は?」

みの「サントリーさんも太っ腹でねえ。本当にありがたかった!」

ニッカの竹鶴威さんからの1本の電話

 その日の夕方、事務所に帰ったみのさんの所へ一本の電話が入ったのだそうだ。

「テレビ拝見しました。うちのウイスキーをご愛飲いただきありがとうございます。社員もみんな見ておりまして、最後の、みのさんの一言に万歳三唱が起きました。感激のあまり涙を拭う者までおりまして…」

 電話の主はマッサンのお子さん。当時二代目社長としてニッカウヰスキーの頂点に君臨する竹鶴威さんだった。

 竹鶴社長は、みのさんの父上が地元の誇りだと感じた「宮城峡」をお作りになったご本人でもある。いわば、みの家の「恩人」だ。そのお方が、丁寧にも翌日事務所まで直々、ご挨拶にお見えになった!

 話が弾み、みのさんが「よろしかったら、一杯お付き合いいただけないでしょうか?」

 お誘いすると、竹鶴社長は快諾して下さった。

 みのさんは父上のご恩返しをしたいと思う気持ちもあったのだろう。

 竹鶴社長を銀座にお連れした。

「竹鶴威」のサインが入った真っ白な「鶴」ボトル

 店には今晩行くことはもちろん、「あのニッカの竹鶴社長」とご一緒することなど一切伝えていない。

 いつも通り店に入ると、当たり前のようにニッカの「鶴」の白いボトルが出てくる。社長が「ほー」と声をあげた。店の人はその「ほー」の意味を知らない。「みのさんが来たら鶴」はごく当然のことなのだから。

 さらにその後4軒ほど銀座のお店を巡ったが、全ての店の全てのボーイさんが、みのさんの姿を見れば、「鶴」の陶器のボトルを、黙って自然に出してくる。

 みのさんの「ニッカへの思い入れ」は痛いほど伝わったのだろう。

みの「ボトルに社長のサインを書いていただけますか?」

 竹鶴「何をおっしゃいます。サインを頂戴したいのはこちらのほうです」

みの「いや、是非御願いします!」

 その日の日付と、竹鶴威と見事な文字が書かれた真っ白な鶴のボトルはみのさんの宝物の一つだ。

竹鶴威さんとの最後のお別れ

 マッサンこと竹鶴政孝の後を継ぎ、経営者としても、マスターブレンダーとしても大活躍し、サントリーとともに日本のウイスキーを世界トップのレベルにまで高めるため力を尽くしたニッカウヰスキー二代目社長、竹鶴威。

 竹鶴威さんは、昨年12月17日老衰のため90才で永眠された。

 この2月16日、帝国ホテルで「お別れの会」が行われる。

 みのさんは社長からいただいたサイン入りの鶴のボトルを手に会場に向かい、最後のお別れに臨むのだそうだ。

梶原 しげる(かじわら・しげる)
1950年生まれ。早稲田大学卒業後、文化放送のアナウンサーになる。92年からフリーになり、司会業を中心に活躍中。東京成徳大学客員教授(心理学修士)。「日本語検定」審議委員を担当。

著書に『すべらない敬語』『そんな言い方ないだろう』『敬語力の基本』『最初の30秒で相手の心をつかむ雑談術』『毒舌の会話術』『プロのしゃべりのテクニック(DVDつき)』『即答するバカ』『あぁ、残念な話し方』ほか多数。最新刊に『ひっかかる日本語』 (新潮新書)がある。

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Commented by amenbou at 2015-04-04 11:03
22時~5時半、白河夜船。図書館で借りた『防災大辞典』を手に朝風呂。巻末の年「日本史上に残る災害年表」がいい。映画やテレビの歴史ドラマは、この大切な災害史をあまり描かない。<1096年 永長地震 地震・M8.0~8.5/津波 震源域・東海~南海プレート この2年後の「康和地震」は、南海トラフ震源とする永長地震に連動発生したとされる。2度の震災と復興の失策で院政が次第に衰退し、後に平氏と源氏という武士の台頭を許すこととなった>と、災害によって政権が揺らぎ破滅したことを記録している。
http://www.amazon.co.jp/%E9%98%B2%E7%81%BD%E6%96%B0%E5%B8%B8%E8%AD%98%E5%A4%A7%E4%BA%8B%E5%85%B8-%E6%B4%8B%E6%B3%89%E7%A4%BEMOOK-%E5%9B%BD%E5%B4%8E%E4%BF%A1%E6%B1%9F/dp/4800305519
Commented by amenbou at 2015-04-04 22:47
夕食の後、録画してあった世界ふれあい旅スペシャルinカンボジア(読売TV.3/29)をみる。昨年訪ねたアンコールワットの復習としてみたのだが、レポーターが世界不思議発見みたいな可愛い子(ミステリーハンター)だったらいいのに、傍若無人な言動とむさ苦しい千原せいじなのが残念だった。
by amenbou | 2015-04-04 00:00 | ニュース・メディア・映画 | Trackback | Comments(2)

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