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☆彡★彡☆彡2015年4月17日★彡☆彡★彡

☆彡菅官房長官と全面対決した沖縄・翁長知事に保守メディアがバッシング! 背後に官邸か
(c)LITERA 2015.04.14.

 官邸の沖縄イジメに批判が高まったことで、急遽、開催された翁長雄志沖縄県知事と菅義偉官房長官の会談。だが、この会談以降、今度は保守メディアの翁長知事バッシングが高まっている。

 読売新聞は会談について「疑問なのは、翁長知事が激しい政府批判に終始したことだ」と、真っ向から翁長知事を批判。産経新聞にいたっては会談での翁長知事の態度を「敵意むき出し」と書き、「何を得ようとしているのか」とネトウヨ的発想丸出しのタカリ批判を展開している。

また、産経と「週刊文春」(文藝春秋)4月16日号は、翁長知事がこの4月中旬に観光誘致目的で日本国際貿易促進協会の訪中ツアーに参加することをとらえ、あたかも基地問題で中国と連携しているかのような印象を与える記事まで流した。


 こうしたバッシング報道の中で必ず出てくるのが、「翁長はもともと辺野古推進派なのに、知事になるために転向した」という話だ。たとえば、先の「週刊文春」では「翁長氏が辺野古移設反対へと傾くようになったのはなぜか」との前ふりで、昨年11月の知事選に「勝つために“転向”したのでは」と、元沖縄県議のこんなコメントを紹介している。

「ただ、知事選の公約としたことで、振り上げた拳を降ろすことができなくなっているのではないか」

 また、「週刊新潮」(新潮社)4月16日号も強硬な反対姿勢は、知事選で支持を受けた「共産党のプレッシャー」によるものだとし、「もともと那覇市長時代に辺野古移設を推進していた」と指摘している。

 だが、これらは明らかなデタラメである。たしかに翁長知事は自民党県議時代、辺野古基地移転を容認していたが、転向したのはもっと前、2009年の鳩山政権時代に、はっきりと基地反対の姿勢を打ち出している。
 知事選より2年も前、民主党政権下の2012年、朝日新聞(11月24日)のインタビューで、翁長氏(当時は那覇市長)は自らの“転向”についてこう述べている。

「ぼくは自民党県連の幹事長もやった人間です。沖縄問題の責任は一義的には自民党にある。しかし社会党や共産党に国を任せるわけにもいかない。困ったもんだと、ずっと思ってきた。ただ、自民党でない国民は、沖縄の基地問題に理解があると思っていたんですよ。ところが政権交代して民主党になったら、何のことはない、民主党も全く同じことをする」
「僕らはね、もう折れてしまったんです。何だ、本土の人はみんな一緒じゃないの、と。沖縄の声と合わせるように、鳩山さんが『県外』と言っても一顧だにしない。沖縄で自民党とか民主党とか言っている場合じゃないなという区切りが、鳩山内閣でつきました」

 その覚悟は相当のようで、振興策による利益誘導ではないか、という批判にも、こう切り返している。

「振興策を利益誘導だというなら、お互い覚悟を決めましょうよ。沖縄に経済援助なんかいらない。税制の優遇措置もなくしてください。そのかわり、基地は返してください。国土の面積0.6%の沖縄で在日米軍基地の74%を引き受ける必要は、さらさらない。いったい沖縄が日本に甘えているんですか。それとも日本が沖縄に甘えているんですか」

 そして、今は民主党政権だから反対をしているだけで、自民党政権になったら賛成に回るのではないか、という疑問にもこう言いきっている。 

「よく聞かれるよ。自民党政権になっても辺野古移設に反対ですかって。反対に決まっている。オール日本が示す基地政策に、オール沖縄が最大公約数の部分でまとまり、対抗していく。これは自民政権だろうが何だろうが変わりませんね」
「沖縄の民主議員も、普天間の県外移設を主張したから、党本部とねじれて居づらくなった。もし自民政権になればああなるんだよと、仲間に言っています。自民の拘束力の強さは民主とは違いますよ。『県外移設』『オスプレイ配備撤回』などと議員が言えば、党は容赦ない。でもそれに従った議員は、その次の選挙で必ず落ちます。県民は許さない」

 ようするに、翁長知事は知事選のずっと前、那覇市長時代から民主党などよりもはっきりとした基地反対の姿勢を明らかにしてきたし、今の事態を予見していたのだ。にもかかわらず、保守系メディアが一斉にデマを報じている裏には、どうも、お得意の官邸によるリークがあるようだ。

 とくに会談でメンツをつぶされた形になった菅官房長官は自ら会見で「県内移設は、翁長さんは自民党沖縄県連幹事長、那覇市長でしたから、承知しているはず」と語り、オフレコでも翁長のマイナス情報をガンガン流しているという。

「実は官邸は今、内閣情報調査室や公安に命じて、翁長スキャンダルを必死で探しているらしいですよ」(官邸担当記者)
 しかし、翁長知事は官邸や保守メディアが考えているほど、簡単には潰せないかもしれない。知事は前述の朝日新聞インタビューでこう語っている。

「オスプレイ反対で県民が10万人集まったって、本土は一顧だにしないんですよ。基地は、目に見えない遠いところに置けばいい。自分のところに来るのは嫌だ。アメリカには何も言わない。いつも通りだ。沖縄は困難な闘いを戦っているんです」
「本土は、日米安保が大切、日米同盟が大切。それで『尖閣を中国から守るのに、沖縄がオスプレイを配備させない』と言う。沖縄にすべて押しつけておいて、一人前の顔をするなと言いたい。これはもうイデオロギーではなく、民族の問題じゃないかな。元知事の西銘順治さんが、沖縄の心はと問われ、『ヤマトンチュ(本土の人)になりたくて、なり切れない心』と言ったんだけれど、ぼくは分かった。ヤマトンチュになろうとしても、本土が寄せ付けないんだ」
「寄せ付けないのに、自分たちの枠から外れると『中国のスパイだ』とかレッテルを貼る。民主党の前原誠司さんに聞かれたよ。『独立する気持ちはあるんですか』と。ぼくは、なでしこジャパンが優勝した時、あなたよりよっぽど涙を流したと話しました。戦後67年間、いじめられながらも『本家』を思ってきた。なのに基地はいやだといっても、能面みたいな顔で押しつけてくる。他ではありえないでしょう。日本の47分の1として認めないんだったら、日本というくびきから外してちょうだいという気持ちだよね」

 我々はこの翁長知事の思いをもう一度、真剣に受け止める必要があるだろう。
(田部祥太)

★彡平和・自立・調和の日本をつくるために【335】
(c)森田実の言わねばならぬ 2015.4.13

《今日の論点(1)》[統一地方選(前半)の結果についての短いコメント]日本の政治を安倍自民党一色にしてよいのでしょうか?!/日本国中に溢れている「自民党にあらずんば人にあらず」の空気の蔓延が心配です/日本の政治はバランスを失いました/安倍自民党政治の「従米軍国主義」に向かっての暴走をいかにして阻止するかを真剣に考えるべき時です

「過ぎたるは猶及ばざるが如し」(孔子)
「及ばぬは猶過ぎたるに勝れり」(徳川家康)

 日本の政治を、安倍自民党一色にしてよいのでしょうか?!
 今回の選挙結果は、日本の未来に災いをもたらすおそれ濃厚だと思います。
 統一地方選のNHK開票速報を終了まで見ました。国民の選択ですから尊重しなければなりませんが、私の心境を率直に申しますと、非常に暗いものです。日本の将来が非常に心配です。
 まず、投票率が低すぎます。無投票当選者が増えています。全体の3分の1が無投票という事態は、民主政治にとっては深刻です。候補者が少ないのです。国民の政治不信と政治的無関心が深刻化しています。選挙は民主主義の基礎です。無投票というのは国民の選挙をする権利を奪うものです。その上、投票率が低下しています。50%以下の投票率で、ほとんどの知事、政令市の市長、府県議会議員が選ばれているのです。これでは健全な民主制とは言えません。
 さらに、選挙結果は「自民党圧勝」です。中央政界の「一強多弱」の政治状況が、地方政界に広がりました。安倍自民党の独裁体制が形成されてしまいました。
 これから日本の政治はどうなるのでしょうか? 安倍首相の暴走がさらに激しくなるおそれ大です。日本は安倍首相が狙う「戦争する国」への転換が進む危険性が強くなりました。憂慮すべき状況です。日本の平和、日本の民主政治は、危機です。なんとかしなければならない、と思います。安倍自民党政治の暴走を止めるために起ち上がる必要があります。

《今日の論点(2)》いまこそ日本国民は、「平和」を心配し、「平和」を語らなければなりません/統一地方選(前半)においては、「平和」がほとんど議論されませんでした/内向きの議論ばかりでした/その結果、日本の平和は危機に立たされています/安倍内閣は日本を「戦争放棄した国」から「アメリカ軍とともに戦争する国」に変えようとしています/自民党は暴走しています/止めなければなりません/「専守防衛の日本の自衛隊」を「アメリカ軍防衛のための軍隊」にしてはなりません

「生きるとは何のことか。生きるとは、死にかけているようなものを、絶えず自ら突き放してゆくことである」(ニーチェ)

 政治にとって最も大事なことは「平和」を守ることです。戦争を阻止することです。戦争の可能性を突き放し、潰すことです。戦争への動きを一つ一つ潰していくことです。
 いまの日本は平和の危機です。戦争の方向へ向かって暴走している安倍自民党を、日本国民の多くが支持しているというのは、きわめて危ない状況です。1931年の満州事変後の日本に似てきています。
 この現実に目を向けるべきです。この現実に気づかなければ安倍自民党の「戦争」の方向へ向かっての暴走を止めることはできないと思います。安倍政権は、「日本を専守防衛するための自衛隊」を「アメリカ軍を守るための軍隊」に変えようとしています。自衛隊員をアメリカ軍を守るための防壁に使おうとしています。許し難いことです。
 統一地方選の後半の選挙においては「平和」をもっと議論しましょう!! 平和を語りましょう!! 平和を守る強い意思をもった市町村議会議員を選びましょう!


☆彡日本経済一歩先の真相/高橋乗宣 米中通貨戦争にのまれる国際社会

(c) 日刊ゲンダイ 2015年4月10日

 世界の通貨史が今、大転換期を迎えている。中国が主導する「アジアインフラ投資銀行」(AIIB)の年内創設は、「中国元」が「米ドル」から基軸通貨という覇権の座を奪おうとする狙いがある。国際社会が米中両国の通貨戦争に巻き込まれる時代に突入したのだ。

 世界銀行・IMF体制を主導してきた米国と、それに“右ならえ”の日本は、AIIBに様子見ムード。加盟国の意思決定システムの不備を理由に創設メンバーとしての加盟を見送ったが、すでに世界52の国と地域が加盟を表明している。中には英・豪・韓など米国の同盟国も少なくない。

 AIIB加盟ラッシュの背景には、米国主導の世銀・IMF体制、そのもとでのアジア開発銀行(ADB)への各国の反発がある。

 ADBの歴代9人の総裁は全員、日本人が務めてきたが、急成長するアジア経済を支えるインフラ整備に必要な長期資金の要求に応じきれなくなっており、各国の不満がくすぶっていた。そこにツケ込む形で、中国はAIIBの創設に動いたのである。
 振り返れば第1次大戦で経済的勝利を収めた米国のドルが、1920年代の英ポンドとの通貨戦争を経て、第2次大戦後に基軸通貨の座を掌握してから、70年。70年代以降はニクソン・ショック、ブラックマンデー、リーマン危機などを経験し、ドルはかつての“輝き”を失っている。

 それでも貿易は主としてドルで決済され、各国の外貨準備に占めるドルの割合はまだまだ高水準だ。だから、世界各国とも依然として為替決済の金融機関をニューヨークに置かざるを得ない。これらの事柄によって、ドルはかろうじて基軸通貨の座を保っていられるのだ。

 AIIB創設により、先進国の多くが上海や北京に決済銀行を置くようになれば、ドルの地位は中国元に追い落とされかねない。そして潤沢な資金をアジア全域のインフラ整備に振り分け、中国に向かって高速道路網や新幹線網が延びていく。中国はアフリカ諸国にも猛烈な勢いで進出している。中国元支配がいずれ地球の大半に及ぶ可能性だって「絶対にない」とは言い切れない。
 冷戦下で閉じこめられてきた中国経済の勢いは、グローバル化の進展によって世界をのみ込もうとしている。今や中国元の勢いは1920年代に英ポンドから基軸通貨の座を奪い取った米ドルに匹敵する。世界が中国元になびく中、日本は過去の栄光を失った米国にひたすらスリ寄って、歴史のうねりを傍観しているだけでいいのか。





★彡左巻き書店の「いまこそ左翼入門」① 虐げられた無名の者たちよ、ピケティよりもマルクス『共産党宣言』を読め!
(c) LITERA 2015.04.10.

 世界が赤く見えないか。

 それは戦火で街が炎に包まれているからか、流された血が大地をおおっているからか。あるいは憤怒で自分の眼球が血走っているためなのか。

 世界がどこまでもくすんだ灰色にしか映らない者は、引き攣った愛想笑いを浮かべながら隣人にへつらっていろ。世界が赤く染まって見える者は、途方にくれる前に左巻き書店をたずねろ。ここには、やつらに見えないものが見えてしまう者の存在に根拠を与える本が揃えてある。

 しばらく休業をもらった左巻き書店もいよいよ新装開店。左巻き書店の本棚に並ぶ本の中から、いくつかの視点に沿ってブックガイドをお届けしていく。まずは「いまこそ左翼入門」だ。世の中がそろって右へならえをし、左翼といえば唾されるいま。ほんとにみんな左翼が何かわかってるのかよ。この体制への反抗を企てる者も、左翼を批判する者も。いま、だからこそ、左翼とは何かを学べ。

「いまこそ左翼入門」ブックガイドの第一弾はもちろんこれだよ。そう。『共産党宣言』。

『共産党宣言』はカール・マルクスと盟友フリードリッヒ・エンゲルスによって共産主義者同盟の綱領として執筆された。綱領とは組織の基本方針を示した文章だ。1848年ロンドンで刊行。マルクスは執筆当時29歳の若さだった。革命組織の綱領として書かれた本書は、『資本論』などの理論研究書ではなく実践的な政治文書だ。ドイツ語原文にして1万語、岩波文庫にして50ページのこの薄いパンフレットは、世界各国語に翻訳され、長年にわたって読み継がれてきた。流布した冊数としても影響力としても『聖書』に比せられることもある。

 ところが、資本主義の暴威やその限界に関する議論がこれだけ世界中で盛りあがっているのに、『共産党宣言』は打ち捨てられたままに見える。資本主義の批判において『共産党宣言』こそが、有効な武器になるはずだのに。

 なるほど確かにいま、マルクスをマルクスとして読むのが、つまりテキストをテキストとして読むのが困難になっている。まずは『共産党宣言』を読むことを阻んでいる障壁を取り除き、もっと自由な読み方ができるテキストとして提示することからとりかかろう。

 テキストをテキストとして読めないのは、『共産党宣言』を読む際に、この書が執筆されて以降の歴史を読み込んでしまうからだ。もちろん読者も歴史に規定されているからには、それはどんな読書にも常につきまとう。しかし、『共産党宣言』においては特に過剰である。例えば「共産党」という一語をとってみても、日本共産党、あるいはソ連や中国の共産党、そしてその国家体制までを読み込んで理解してしまうのだ。マルクスの時代に存在しなかったものをマルクスのテキストに織り込んで読んでしまっている。

 それは読者の政治意識・歴史意識がそうさせているだけではなく、翻訳という作業自体が政治的な改作を忍び込ませ、巧妙に読者を誘導しているからなのだ。
 そもそもこの書はほんとうに「共産党」宣言なのか。先に述べたようにこの書が綱領として書かれた組織名は、「共産主義者同盟」であって「共産党」ではない。中央の厳格な統制による現在の共産党イメージの原型をつくったのはレーニンの前衛党論であり、『共産党宣言』とは無縁である。初版では『Manifest der Kommunistischen Partei』 であったが第二版以降『Das Kommunistische Manifest』となり「Partei(党)」という言葉は失われているように、「党」という概念が重視されていたとは言い難い。こうした問題意識に立って『共産主義者宣言』という新しいタイトルを与えたのが金塚貞文の翻訳(太田出版。のち平凡社ライブラリー)である。解説の柄谷行人は自分の発案であると述べている。さらに『筑摩書房マルクス・コレクション』では、今村仁司の主導の下、「共産主義」という言葉には生産組織としての側面が強すぎ、コミューン(共同体)としての解放的ニュアンスが伝わりにくいとして、手垢にまみれてしまった「共産主義」さえ放擲し『コミュニスト宣言』のタイトルが採用されている。ようやく党派的利害による改作が施されていない翻訳が手にできる時代がやってきたのだ。

 マルクスや共産主義関係文献といえば、日本共産党中央によって、以前から定着している「暴力」「プロレタリア独裁」の訳語の印象が悪いとして「強力」「プロレタリア執権」に改めると政策決定されれば、その系統の出版物の翻訳が全て変更されるという党派操作のもとでしか読めない時代があった。いまようやく初めて、党派性から解放されたマルクス理解のできる条件が整えられている。

『共産党宣言』は「共産党」宣言ではない、「共産主義者」宣言であり、「コミュニスト」宣言であると知った時、この書の読みは解放され、もっと自由になる。

 では、『共産党宣言』(便宜上一般に流布しているこのタイトルを用いる)をマルクスのかっこいいセリフとともに読もう。

『共産党宣言』といえばまず階級闘争史観をおさえなければならない。

「今日に至るまで、あらゆる社会の歴史は、階級闘争の歴史である」との有名な一節にその歴史観が端的に表現されている。自由民と奴隷、貴族と平民、領主と農奴など抑圧する者とされる者の絶え間ない闘いが歴史として展開されてきた。その階級闘争の歴史は、ついにブルジョア階級とプロレタリア階級の対立に至る。封建社会を打ち倒したブルジョアが支配階級となった現在の社会のありよう、ブルジョア階級が果たす役割が克明に描かれている」
「ブルジョア階級は、世界市場の開拓を通して、あらゆる国々の生産と消費を国境を超えたものとした。反動派の悲嘆を尻目に、ブルジョア階級は、産業の足元から民族的土台を切り崩していった」
「そうした産業はもはや国内産の原料ではなく、きわめて遠く離れた地域に産する原料を加工し、そしてその製品は、自国内においてばかりでなく、同時に世界のいたるところで消費される。国内の生産物で満足していた昔の欲望に代わって、遠く離れた国や風土の生産物によってしか満たされない新しい欲望が現れる」
「かれらはすべての民族に、存続と引き換えに、ブルジョア階級の生産様式の採用を強制する。かれらはすべての民族に、いわゆる文明を自国に輸入することを、すなわち、ブルジョア階級になることを強制する。一言で言えば、ブルジョア階級は、かれら自身の姿に似せて世界を創造するのだ」
 いまを生きる読者は、資本主義とは何かをつかもうとする手がかりとしてこのような記述に興味をそそられるだろう。あたかも現下の経済のグローバル化を解説しているかのようだ。もちろん資本主義の世界市場展開についてもいろいろ示唆に富んでいる。さまざまな角度から玩味するに十分値する。しかし、かと言って、現実と合致した文章を発見して予言者の如く崇めても仕方ない。

 むしろ、ここではマルクスの弁証法的な視点に注目すべきだろう。マルクスが弁証法的に歴史を描いているということの意味は、対立する階級が歴史を推進するということではない。ブルジョア社会の発展がそのままプロレタリア階級の勃興を準備する道程である、という裏腹な二面性の同在を指摘したことにある。

 それはこういうことだ。「ブルジョア階級が漫然と担ってきた工業の進歩は、競争による労働者の孤立化に代えて、統合による労働者の革命的団結を作り出す、それゆえ、大工業の発展とともに、ブルジョア階級の足元から、かれらが生産し、また生産物を取得していたシステムの土台そのものが取り去られる。かれらは何にもまして、かれら自身の墓掘り人を生産する。かれらの没落とプロレタリア階級の勝利は、ともに不可避である」

 では、その逢着点としての共産主義とはどのようなものか。

「共産主義を特徴づけるものは、所有一般の廃止ではなく、ブルジョア的所有の廃止である」とマルクスは端的に定義する。

 私有財産が国有化されることが共産主義だという通俗的な理解とは異なり「共産主義は、社会的生産物を取得する権限を誰からも奪いはしない。ただ、この取得によって他人の労働を隷属させる権限を奪うだけである」「資本は、共同の産物であり、多くの人たちの共同の活動によってしか、そして究極的には、社会全員の共同の活動によってしか、機能し続けることはできない」「だから、資本が共同の財産に、社会全員に属する財産に変わったとしても、個人の財産が社会の財産に変わるわけではない。変化するのは、所有の社会的性格だけである。つまり、所有はその階級的性格を失うのだ」

「生活を再生産するための労働生産物を個人が取得することを止めさせようなどとは」考えていない。多くの人の共同によってしか、つまり社会的にしか生産されないものを、支配階級が占有することがなくなるのである。「やっぱりオレの財産を奪おうとしてるじゃないか」という者はいるだろう。それがブルジョア階級だ。プロレタリアは何も失わない。なぜなら失うものを何も有していないからだ。プロレタリアが失うものは鉄鎖だけである。

 プロレタリア階級が政権をにぎったらとるべき政策として、高度な累進課税や相続権の廃止などが挙げられている。これも近頃よく耳にするよな。
 こうして「階級の差異が消滅して、すべての生産が結合された個人の手に集中してゆけば、公的権力は政治的性格を失う」ところにまで進む。階級闘争の終焉とともに他階級を抑圧するために存在した政治権力というものも無化されるのだ。

 そして「階級および階級対立をともなった古いブルジョア社会に代わって、一人一人の自由な発展が、すべての人の自由な発展のための条件となるような連合体が現れる」とマルクスは告げる。

 所有や生産関係に重きを置いた従来の共産主義イメージに代わって、いまはこの一文に注目が集まっている。それはまた、徹底してひとびとの紐帯を断ち切り、個に解体して過酷な競争で対立を煽る、現在の新自由主義との対極の社会像でもある。

『共産党宣言』にはいまも汲むべきところが豊富にある。とはいえ執筆されたのはフランス革命の60年後、明治維新の20年前だ。マルクス、エンゲルス自身も、初版から25年後の刊行時に寄せた新たな序文では、時代遅れになった箇所や時勢の変化に合わせて書き換えるべき箇所があると述べている。超時代的にその片言隻句に至るまで正当性を擁護するような聖典でもない。

 しかし、それでも『共産党宣言』は現在に生きる書としてある。

『共産党宣言』がいつの時代においても新鮮な感動でひとをつかまえるとしたら、それは何より、歴史のとらえ方にあると言えるだろう。歴史の法則といえば決定論的に聴こえるのでそうは呼ばない。ただ、歴史とは、でたらめな偶然の集積でもなければ、英雄の個人的意志が左右するものでもない。『共産党宣言』によれば、階級闘争こそが歴史を動かす要因なのである。

 そして、『共産党宣言』は何も持たない、無名の、虐げられた存在にこそ、その歴史への参画の資格があることを明確に指し示した。だから、これまで多くの若者が『共産党宣言』を掲げながら歴史の前面へと踊り出してきたのだ。

 そう考えると、『共産党宣言』の最大の意義とは、歴史への参画を呼号するアジテーションの熱さだというべきかもしれない。この書はこうしめくくられる。

「共産主義者は、自分の見解や意図を隠すことを恥とする。共産主義者は、かれらの目的が、これまでのいっさいの社会秩序を暴力的に転覆することによってしか達成され得ないことを公然と宣言する。支配階級よ、共産主義革命の前に慄くがいい。プロレタリアには、革命において鉄鎖のほかに失うものは何もない。かれらには獲得すべき全世界がある。
全世界のプロレタリア、団結せよ!」

〈引用は『共産主義者宣言』太田出版より〉

(左巻き書店店主・赤井 歪)

●左巻き書店とは……ものすごい勢いで左に巻いている店主が、ぬるい戦後民主主義ではなく本物の左翼思想を読者に知らしめたいと本サイト・リテラの片隅に設けた幻の書店である。

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Commented by amenbou at 2015-04-17 06:31
時代劇が"斬られ役"が上手くなければ成り立たないように、プロレスでは"ヒール(悪役)"がいなければ成立しない。だから悪役の方が正義よりギャラが高かったのだ。こんなセオリーさえ分からず、「改革」の美名(実体は切り捨て)に騙され、自民より「右」の維新に投票行動するなんぞは自殺行為というものだ。アホめ!!
森達也の『悪役レスラー「卑劣なジャップ」グレート東郷』(岩波新書)で肝心要の箇所を引用する。ネトウヨをはじめチーム安倍とかこの国の「右」の正体と矛盾を痛烈に晒しているからである。今日、安倍が沖縄の翁長知事に面会するというからである。辺野古は強行するくせに、統一地方選と訪米前のアリバイとしてだ。

<天皇制の継承。それはまさしく、アメリカ的ブログマティズムがシンボライズする西欧的合理主義の観点からは摩訶不思議な現象であり、容認しがたい現実であったはずだ。だからこそ日本は、内心はともかくとして上辺は、徹底的にアメリカに額ずかなければならなかった。敗戦の日、皇居周辺で泣き崩れる群衆、あるいは「陛下に申し訳ない」割腹した軍人たち。そんなメンタリティを色濃く残しながら、日本はアメリカにあっさりと従属し、素早く順応した。イラクにおける占領統治が現在(イスラム国を生み出した)、これほどに混迷することに比べれば、60年前の占領統治は、同じ世界の出来事とは思えない。支配されること、統治されることに、これほど従順な国民は、他にはちょっとない。/だから日本人は怖い。アメリカ人でなくてもそう思う。僕も怖い。特攻という日本独自の戦闘スタイルは、イスラム原理主義の自爆テロとは微妙に違う。信仰は死への垣根を引き下げる。でも特攻機に乗り込む若い日本兵たちが、篤い信仰心を五体に漲らせていたわけではない。もちろんイスラム原理主義のテロリストたちが皆、笑いながら死んでゆくとは僕は思っていない。その意味では表層的に違いない。でも日本の「滅私」は、呆気ないほどに依拠していた主体を変える。その意味では「滅私」ですらないのもしれない。少なくとも敗戦後のこの国の歴史は、底がないほどに徹底して合理的だ>【P80】
by amenbou | 2015-04-17 00:00 | ニュース・メディア・映画 | Trackback | Comments(1)

★彡Amenbou Premium★彡身の廻りで起きる現象を的確に批評・分析しますがあくまで個人の感想と意見です。