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☆彡★彡☆彡2015年5月9日★彡☆彡★彡

☆彡人口減少で絶滅する恐れのある民族、日本が世界トップに!2050年までに3000万人減少も!次点はウクライナ!
(c)真実をさがすブログ 2015.04.28 16:08

★彡「日本のどこを探しても希望のかけらもない」村上龍最新エッセイにこめられた想いとは
(c)Business Journal 2015.04.28

 1984年の連載開始以来、一貫して日本社会が抱える問題の本質を暴き続けてきた作家・村上龍のエッセイ「すべての男は消耗品である。」の14冊目となる最新刊『ラストワルツ』(KKベストセラーズ/刊)が発売された。

 この刊では、作家自ら「ずいぶんとトーンが変わってきた」と述べているように、自身の老いの自覚と、それに伴う考え方や行動の変化に触れる箇所が多く見られる。かつてこのシリーズは、モナコやカンクン、ニューヨークなど海外の滞在先から原稿が送られてきて、日本社会の閉塞状況を一刀両断するのが定番だった。しかし最近は活動の重点が小説執筆とTV『カンブリア宮殿』など国内に置かれ、海外に出ることは少なくなっているという。そのぶん若さにものをいわせた論調から、過ぎた歳月の経験を踏まえる論調へと変わったとしてもなんの不思議もない。むしろ老いによってものごとへ向ける眼差しにいっそう深みが加わったといえる一冊だ。

 なかでも、日本で今起こっている問題の根を見抜く村上氏の目は依然、健在である。アベノミクスの行く末や原発の再稼働、雇用問題、マイルドヤンキーの出現、メディアの現状などについて、鋭い持論を展開している。

■アベノミクスは「最後のあがき」か

 そろそろ目に見える成果が欲しいアベノミクスだが、「大きな成果を上げるとは思えない」というのが作者の意見だ。

 「第一の矢」とされる「大胆な金融政策」で市場に資金を大量に流通させたところで、民間企業の生産性を上げるまでは至らず、「第二の矢」である「機動的な財政政策」も、従来の「バラマキ」と何が違うのかがわからない。そして、政府の切り札として掲げられた「第三の矢」の「民間投資を喚起する成長戦略」とはそもそも実現性の低いものだ、と作者は洞察する。

 「第三の矢」の本丸は規制緩和であり、具体的には農業、医療、雇用など各分野の改革によって、既得権益層を守る「岩盤規制」を切り崩すことだ。しかし実はこれも、かなり前から必要が叫ばれてきたことを、改めてやろうと口にしているにすぎない。まして、「第一の矢」「第二の矢」と違い、明らかに不利益をこうむる既得権益層は、安倍内閣の支持基盤と重なっている。当然、彼らの既得権の切り崩しにかかれば強い反発が予想されるわけで、これを推し進めるのはどう考えても困難である。もしできたとしても成果が出るまでには長い時間がかかる。結局、アベノミクスは「最後のあがき」に終わり、日本経済は「停滞」したまま過ぎていく可能性が高い、というのである。

■最後のワルツ、孤独な二人

 もっとも、作者は「意味のある停滞」はありうると示唆している。中長期的なビジョンがあり、短期的な利益をとりあえず犠牲にして、将来に備えるという場合だという。成果が現われるのは10年先、30年後かもしれないが、絶対的な政策を採っているので、今は損益を被る層が一定数いてもやむをえないという事態である。

 しかしそういう絶対的な政策が採れなければ、日本は「意味のない停滞」を続けることになり、衰退は確実になっていく。

 そして作者はすでにそのような事態は来ていると見ているようだ。作中、「日本のどこを探しても希望のかけらもない」という衝撃的な一文に、それが象徴されている。

 では、「意味のない停滞」に陥っているこの国に出口はあるのか? この状況を生き抜いていくために、何が必要なのか。

 本書のなかで作者は、「希望のかけらもない」状況を、別れる直前に最後のワルツを踊っている恋人たち、寂しさの垂れこめる二人に重ねて、将来へのあり方を示唆しているように見える。「最後のワルツ、孤独な二人」とは、エンゲルベルト・フンパーディンクが歌う名曲「ラストワルツ」の詞の一節だ。これから先は、もはや誰にも依存しないで、一個人としてしっかり生きること。決してニヒリズムには行かないこと。それが希望へと向かう第一歩、生き抜くための必要条件だと、つよく暗示しているのだ。

 その突き放し方が、読者へのエールとなっているところが心地よい。

 作者が直接的な答えを示すことはありえないが、本書を熟読すれば、自分なりの答えを探し当てるヒントが、ページの中にいくつも見つかるにちがいない。
(新刊JP編集部)

☆彡元米軍司令官も証言! 安倍政権が煽る「東アジアの危機」は嘘 新ガイドラインはすべて米国のため…安倍首相は自衛隊を米軍の下請けに差し出した
(c)LITERA 2015.05.03.

 今回の安倍晋三首相の訪米をひとことで言い表わせば、ネギを背負ったカモが言葉の限りを尽くしてご主人様に忠誠を誓い、すべてを捧げますと約束するための旅だった。ポスト冷戦でかつての西側諸国が新たな国益をかけた駆け引きを演じるなか、安倍首相はいまさらのように「米国と組み、西側世界の一員」になったことを喜び、「いまも、この道しかありません」とブチ上げた。そして、アジア太平洋地域を重視するアメリカのリバランス(再均衡)戦略を「徹頭徹尾支持するということを、ここに明言します」とまで媚びたのだ。

 日本のマスコミは上下両院合同会議での演説で「侵略」や「おわび」の言葉があるとか、ないとかで騒々しかったが、アメリカがこだわっていたのはそこではない。

 演説で安倍首相は、まだ日本の国会で議論が始まってもいない安保法制をこの夏までに必ず実現すると、アメリカの国会議員を前に約束した。また、演説の2日前の27日には、日米首脳が“歴史的な転換”と自賛する日米防衛協力のための新しいガイドラインが(これまた日本の国民には何の説明もなく)勝手に合意されてしまった。アメリカが期待したのは、まさにこの1点だったと言ってもいい。そして安倍首相は、ご主人様の期待通りのパフォーマンスをして見せたのだ。

 この訪米でハッキリわかったのは、安倍政権が進める安全保障政策は、日本の国益のためというよりは、アメリカの要請というほうがより強い要因だったということだ。なにしろ、合意された新ガイドラインは、アメリカに都合のいいことばかりなのだ。例えば、日米協力における自衛隊の活動は、これまでは戦闘がなく米軍の武力行使とも一体化しない「後方地域支援」に限定されていたが、新ガイドラインでは限定が解除された。さらに、原則「日本周辺」とされていた活動範囲も、今後は地理的な制約なく米軍に協力することが明記された。そしてそのいずれもが、集団的自衛権によって、日本が攻撃された場合に限らずできるようになる。

 これにはアメリカも大喜びだ。防衛費の大幅削減を迫られているアメリカでは、停戦前のペルシャ湾での機雷掃海や南シナ海での監視活動など、日本に肩代わりさせたい“任務”が山ほどある。これまで憲法などの制約があってできなかったことだ。それを、日本の国民には何の相談もなく、すべてお引き受けしましょうと約束してきてしまったわけだ。アメリカ様に言われれば、地球の裏側でも、いつでもどこでも、自衛隊を差し向けますというわけだ。29日付の朝日新聞には「日本海域を越えた偵察活動をよりしやすくなる」といった米国防総省高官のコメントや、「日本の後方支援をあてこんだ戦略が練れる」という米軍関係者のコメントが紹介されている。まさに、アメリカのアメリカによるアメリカのための新ガイドラインなのである。

 ……なんてことを書くと、必ず「いや、そんなことはない」という反論が聞こえてくる。東アジアの国際情勢はますます厳しさを増し、米軍の協力なしに日本の安全保障は確保できない。27日の外務・防衛担当閣僚会合(2プラス2)では「尖閣諸島が日米安保条約の範囲に含まれる」ことが再確認され、新ガイドラインでも尖閣を念頭に置いた新たな「離島防衛」が盛り込まれたではないか、と。

 だが、これこそが日本国民をあざむくペテンなのだ。確かに、新ガイドラインに「離島防衛」が書き込まれたのは事実だが、米軍の役割はあくまでも自衛隊の作戦の「支援」「補完」とされ、改定前と変わっていない。
 日本を取り巻く国際環境が厳しさを増し、いかにも有事が迫っているかのような言い方自体が、実は真っ赤なウソなのだ。

 この話を暴露したのは他でもない、元米太平洋軍司令官で米国家情報長官も歴任したデニス・ブレア氏だ。先日、日本外国特派員協会で講演し、次のように明言した。

「日中戦争が起きる危険性があるとする報道が多いが、私はそうは思わない。東アジアの軍事情勢は非常に安定しており、そうした状態がずっと続くと私は見ている」

 これは、そんじょそこらの左翼政治家の言葉ではない。れっきとした米太平洋軍の元最高責任者でかつ、米CIAをも指揮するアメリカ情報機関の総元締めだった人物の言葉なのだ。したがって、根拠も実に明快だ。

「東アジアの領有権問題は一部例外を除けば、ほとんどが島に関するものだ。島の領有権を変えるには大規模な軍事作戦が必要で、侵略国は空と海の支配を長期間、続けなければならない。しかも、東アジアは東欧や中東のように地続きでないため、国境線を巡る地上戦は起きないし、宗派間、民族間の対立や代理戦争の危険もない」
「中国が尖閣諸島を軍事的に支配できる可能性は極めて少ない。そのようなことを試みれば失敗するし、すごい政治的リスクを冒すことになる」

 そうして、こう断言する。

「東アジアを見渡した場合、紛争が起きる可能性があるところは見当たらない」

 中国の漁船が大挙して押しかけてきたり、公船が出没したりといったニュースを連日見せつけられていると、明日にでも中国が攻めてきそうな気になるが、冷静に考えればブレア氏のような専門家でなくてもわかる話だ。日本と日本の周辺国とは政治的にどれだけ冷え込んでも経済的には極めて強い相互依存の関係にあり、戦争を起こすことはそれぞれの国の経済破綻につながりかねない。さらに、日本には大きな米軍基地があり、日本を攻撃するということは(世界の軍事の常識では)アメリカに宣戦布告するのと同じだからだ。そんな“危ない”ことをする国がいったいどこにあるというのだろうか。

 北朝鮮がときどき思い出したように日本海に向けてミサイルを発射するのも、単にアメリカの気を引きたいだけの話で、日本の領土に対する野心があるわけではない(もちろん政治体制の崩壊や暴走の危険はあるが)。そう考えると、いったい誰が何の目的で、途方もないコストとリスクをかけて日本を侵略するのか、ということになる。「東アジアを見渡した場合、紛争が起きる可能性があるところは見当たらない」というブレア氏の見解は、あまりに当然のことなのだ。

 前出「2プラス2」の共同発表は安倍政権が掲げる「積極的平和主義」を最大限にもち上げた。〈米国は(集団的自衛権行使を認めた)昨年7月1日の閣議決定、防衛装備移転三原則、特定秘密保護法など、日本の最近の重要な成果を歓迎し、支持する〉とまで書いている。要するに、これらの決定はすべてアメリカに言われてやったことだった。積極的平和主義とはつまり、アメリカの覇権に協力するため、自衛隊を米軍の下請けに差し出す政策と言ってもいいだろう。

 かつて日本の保守派の政治家が自主憲法制定を求めた背景には、対米自立と自主外交を求める姿勢があった。いま保守を自称する安倍首相は、それとは真逆なことをやっているように見える。日本の憲法は本来、唯一日本の主権者である日本国民の意思によってしか改正できない。にもかかわらず安倍政権はアメリカの要求にしたがって憲法改正を経ることなく、専守防衛を謳った現行憲法を、海外派兵を可能にする解釈に変え、しかも、国権の最高機関である国会での議論もないまま、外国人(アメリカ人)との約束を先行させてしまった。

 日本人としてこの行いをどう評価するか。憲法記念の日に際し、じっくり考えてほしいテーマである。
(南 千希)





★彡ビリギャルに実は“ビリ”じゃなかった疑惑が…正体は名門私立中高一貫校のお嬢様!?
(c)LITERA 2015.05.02.

 “ビリギャル”の勢いが止まらない。勉強のできないおバカな金髪ギャル・さやかが、1人の塾講師と出会い、たった1年で偏差値を40上げて慶應義塾大学に合格した──。塾講師である著者が綴った奇跡の大逆転物語『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40 上げて慶應大学に現役合格した話』(坪田信貴/KADOKAWA、アスキー・メディアワークス)、通称“ビリギャル”は、大きな話題を呼び65万部を超えるベストセラーになっている。今年2月に同じ版元から出されたビリギャルの母親の本『ダメ親と呼ばれても学年ビリの3人の子を信じてどん底家族を再生させた母の話』もヒット、さらに有村架純主演の映画『ビリギャル』も昨日から公開されている。

 しかし、このビリギャルに本当の意味で“ビリのギャルだったのか”という疑問の声が浮上しているのだ。

 ビリギャルといえば、まず思い浮かぶのが本のカバーを飾るギャルだろう。ミニスカ制服に金髪、マスカラやアイラインで目元を強調したガッツリメイクで、反抗的な表情を浮かべる、いかにもなギャルだ。彼女がビリギャルだと思っている人もいるかもしれないが、このギャル、実はファッション誌『JELLY』(ぶんか社)などで活躍する石川恋というモデルで、ビリギャル本人でも慶應生でもない。

 もっとも、これは本にも明記されていることで、実際に本を読んだ人には周知のこと。問題なのは写真でなく、タイトルやそのフレコミだ。

 まず、塾講師の著者いわく、ビリギャルと出会った当時、彼女は「小学4年生の学力のギャル」だったというが、本当なのだろうか。

 というのも、ビリギャルは中学受験を突破し、私立の中高一貫校に通っていたのだ。実際、同書にもこんな記述がサラッと書かれてある。

「彼女は名古屋では「お嬢様学校」と呼ばれる私立女子高Xに通っている高校2年生。中学から大学までほとんど試験なしでエスカレーター式に上がれる」
「君、一応、私立中学受験してるんだよね?」

 名古屋で「お嬢様学校」といえば、名古屋の女子中学受験の「御三家」「SSK」と呼ばれる「金城学院」か「愛知淑徳学園」か「椙山女学園」のいずれか。本に出てくる「算数と国語の2教科受験」「Aクラス・Bクラス・Cクラスの3クラス制」、また投稿サイト「Story.jp」に掲載されている成績表の学年人数などから、愛知淑徳学園である可能性が高い。

「週刊朝日」(朝日新聞出版)4月17日号の「全国3332高校主要大学合格者数総覧」で愛知淑徳学園の今年の合格実績を見ると、卒業生279名で、早稲田5名、慶應6名、明治22名、青学14名、中央11名、立命館66名、東大1名、京大3名、名古屋大22名……とそれなりの進学校だ。つまりビリギャルはビリと言っても、あくまでも“進学校でビリ”なだけなのである。
 愛知淑徳の中学の偏差値は60前後もあり、著者のいう「小学4年の学力」では受からないだろう。たとえ愛知淑徳でなかったとしても、そもそも中学受験は一般的に小学校の勉強だけで受かるものではない。いくらなんでも小学4年レベルの学力というのは、あり得ないのではないか。

 さらにタイトルにある「1年で偏差値を40上げて」の「1年で」というのも誇大表現気味だ。著者はビリギャルことさやかがはじめて塾にやってきたときのことを、こう書いている。

「そんな高校2年の夏、ああちゃん(=さやかの母親のこと)に『さやかちゃんも、そろそろ大学のことを考えたほうがいいんじゃない?』と言われて、僕の塾へ連れて来られたのでした」
「こうしてさやかちゃんは、週に3回、僕が勤めていた塾の夏期講習に通って来るようになります」
「高校2年の夏期講習が終わり、それまで週3回来ていたさやかちゃんは、週4回、塾に通って来るようになります」

 そう。ビリギャルは高校2年の夏には週3回塾に通い、受験勉強を始めているのである。しかも高2の2学期からは週4回も塾に通っている。「1年で」ではなく「1年半で」だし、高2の夏から受験勉強ってふつうの高校生よりむしろ早いくらいではないか。

 本当に偏差値30の高校3年生がこの本を読んでも「わたしにも、できる!」とは、到底思えないだろう。

 映画でビリギャルの母親を演じた吉田羊が「奇跡のようなお話ではあるけど、その奇跡にはちゃんと理由がある。その理由を劇場で確認してほしいですね」と語っているが、まさに奇跡には理由があったのだ。

 理由のひとつは、これまで指摘してきたように、ビリギャルは中高一貫の進学校に通っていて、そもそも小4レベルの学力などではなかったこと。しかし理由はほかにもある。もうひとつは、慶應大学に狙いを定めたことだ。実は、彼女が合格した慶應大学SFCの総合政策学部の受験科目は、英語(あるいは数学)と小論文の2科目。また、受験には落ちたが本命だった文学部も、英語(外国語)と小論文と日本史(あるいは世界史)で、歴史科目の配点の比重は少ない。つまり、ほぼ英語と小論文しか必要のない学部なのだ。

 しかも小論文は、最初から得意だったらしい。

「実は小論文に関しては、さやかちゃんはなぜか最初からセンスがありました。お話の中に入り込んで、怒ったり、感動したりするセンスがあったからです。そしてなぜか(?)字がきれいなのも好印象でした」

 最初からセンスがあった。つまり、ビリギャルには小論文に必要な読解力や論理的思考力、文章力がもともと備わっていたということなのだろう。

 となると、英語にしぼって勉強すればよかったのだ。
 さらにいうと、慶應の入試の場合、英語でも、小論文のセンスに通じる読解力や論理的思考力は、かなり重要な要素だ。実は、ビリギャルの本命だった慶應文学部の入試の英語は超長文1題で辞書持ち込み可という特徴がある。つまり、英語力ももちろん必要だが、単に英単語をたくさん暗記しているということ以上に、読解力が求められているのだ。合格した総合政策学部の英語も文学部ほどの長文ではないが、やはり読解力を要する問題。ある程度、英語力を伸ばせれば、小論文のセンスがあるビリギャルには、かなり相性のいい試験だったはずだ。

 実際、著者も「過去の入試問題を解いた結果を考えると、さやかちゃんが受かるとしたら、この学部(=慶應文学部)」「文学部の過去問は9割以上取れていた」などと慶應文学部の問題とビリギャルの相性の良さを語っている。
 
 高2夏の段階から慶應に狙いを定め他科目を捨て、1年半で英語1科目だけにしぼって偏差値を上げるというのは、そこまで難しい話ではないのではないか(事実、ビリギャルの母親は受験に関係ない学校の授業では娘の居眠りを許容しろと学校に直談判までしている)。

 中高一貫の進学校でビリのギャルが、高2の夏から1年半勉強して英語の偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話。それが、この奇跡の感動物語の本当のところだ。

 実際、同書で紹介されている勉強法をひとつひとつ読んでみても、特別、画期的なものではなく、よく言えばオーソドックス、ハッキリ言えば普通のものばかり。

 たしかにそのオーソドックスな勉強法を実際にやり続ければ、成績は上がるだろう。むしろ、問題はそれを1年半もやり続けられるかどうかで、普通は続かない。それをやらせたのが、この本の著者である塾講師だろう。

 ただ塾は、公教育でも慈善事業でもないわけで、通うのは、もちろんタダじゃない。当然お金がかかる。

「彼女が高校3年生に上がろうとする頃のことでした。そこで、僕は、無制限コースという、日曜を除けば塾へ毎日来られる学習コースを、さやかちゃんに勧めます。ただ、それには当時の塾に、百数十万円というまとまったお金を前払いしてもらう必要がありました」

 百数十万円! いくら毎日通えるといっても、相当な高額だ。中学から私立に通わせたうえ、塾に百数十万円ぽーんと払える家庭など、そう多くはないだろう。
 東大生の親の半分以上が年収1000万円というデータもあるが、親の年収や教育方針などによって、子どもの成績や学歴が大きく左右されてしまう傾向は強まる一方だ。その影響ゆえだろう、親のための受験本もどんどん増えている。『ビリギャル』でも母親の教育熱心エピソードがたくさん出てくるし、母親自身も“ビリママ”として教育本を出版した。『ビリギャル』自体、受験生自身より親のほうによく読まれている。

『ビリギャル』は奇跡の大逆転物語などではなく、「中学受験のあと何年か遊んでいても、高いお金を払っていい塾に行けば大学受験はなんとかなる」という、現在の教育格差を象徴する話だったのではないか。

 奇跡には、理由がある──。そして最大の理由はお金、というのが日本社会の現状なのだろう。
(本田コッペ)

ライター

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by amenbou | 2015-05-09 00:00 | ニュース・メディア・映画 | Trackback | Comments(0)

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